大判例

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名古屋地方裁判所 昭和44年(ワ)1869号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕<証拠>を綜合すれば、つぎの事実が認められる。

本件事故は、昭和四一年一一月二六日午後九時一〇分頃、名古屋市北区若葉通二丁目七番地先の交差点間近かで発生した。現場附近の状況は別紙図面のとおりで、広い東西道路とそれより狭い南北道路が直角に交差しており、同図面(イ)乃至(ニ)の位置に交通整理のための信号機が設置されている。東西道路は、両側に各幅5.5メートルの歩道があり、車道部分の幅員は東行、西行の各車線それぞれ10.0メートル、中央に幅2.0メートルの中央分離帯があり、分離帯には概ね等間隔に高さ一メートル程度の木が植えられている。南北道路の車線部分の幅員は約10.0メートル(北方)と9.0メートル(南方)、その外に、この交差点から北方部分の両側にそれぞれ幅約2.0メートルの歩道があり、南方部分の両側には幅3.0メートルの非舗装部分がある。路面は平坦で、当時乾燥しており、別紙図面(A)のところに水銀灯が点いていた。

被告山本正彦(当時一九才)は、普通乗用自動車(長さ3.30メートル、幅1.40メートル、高さ1.20メートル、オイル式全四輪制動―以下A車という。)を運転して、東西道路を東から西へ向つて進行して来た。約五〇〜六〇メートル前を一台の乗用車が先行していた。時速四〇キロメートル程度の速度であり、助手席には友人の友人になる加藤富美江が乗つていた。同被告は本件交差点を西方へ直進して行くつもりであつた。交差点の手前まで来ると対面する信号(別紙図面(二))は青になつていたので、その儘交差点を通過しようと横断歩道の手前約5.2メートルの距離へ来たとき右斜の前方約5.3メートル、横断歩道の東端から約1.5メートル位のところに、突然、中央分離帯から走り出てくる人影(それが原告であつた。)を発見した。アッと思つた瞬間、その人影はA車の右側中央部に接触してその場に転倒した。同被告は直ちにブレーキを踏んで左にハンドルを切つたが、接触に動転して急停止をすることができず、それから約七四メートル前方へ進行して道路の左端に停止した。

右接触転倒の結果、原告は左脛骨腓骨々折の傷害を負うに至つた。

以上の事実が認められる。

もつとも、<反証排斥略>。

右認定の事実によれば、本件事故は、原告の過失、即ち交通整理のための信号が設置されている交差点において、ここを歩行して横断するに際し、信号が赤であるにも拘らず、原告が横断歩道の附近を走り出した過失に主要な原因があると言うべきである。而して、被告山本正彦の過失の有無を考えて見るに、片側車線の幅員10.0メートルの広い道路で、対面信号が青になつているとは言え、原告は東西道路の東行車線の北東から横断して来ているのであり、附近には水銀灯が点いていて夜間でもかなり明るい交差点であつたのであるから、若し、同被告において右前方に対する慎重な注視をつくしておれば、事前に原告の動静を発見して事故の発生を事前に回避し得たのであろうと考えられる余地がないではなく、その点に若干の過失なしとしない。而して、右両者の過失の割合を勘案すれば、原告の過失が九〇%、右被告のそれが一〇%と認めるのが相当である。

(藤井俊彦)

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